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東京地方裁判所 昭和30年(合わ)442号 判決

被告人 小林音三郎

決  定

(被告人氏名略)

被告人小林音三郎に対する強盗致死被告事件について、検察官の昭和三十七年六月十五日付証拠申請につき同年六月二十八日本件第四二回公判期日において、当裁判所は弁護人の意見を聴いたうえ、左のとおり決定する。

主文

検察官の昭和三七年六月一五日付証拠取調請求は、これを却下する。

理由

一、内田常司作成の鑑定書二冊について

(一) 検察官の嘱託によつて行われた鑑定の結果を記載した鑑定書が刑事訴訟法第三二一条第四項の要件を具備している場合、これを証拠として許容しうることは判例の認めているところである。しかし、事実認定の基礎となる資料の収集が公正な訴訟手続によつて行なわれねばならないことは多言を俟たないことであるから、右鑑定書を証拠として用いることによつて、若し、その公正を害するような場合には、同鑑定書は証拠としてこれを許容することはできないといわねばならない。

(二)  検察官が証拠として申請している鑑定書二冊(以下単に鑑定書と略称する)の作成者は内田常司であるところ、本件においては、昭和三五年九月二七日の第三八回公判で、検察官より右鑑定書の鑑定事項と同一の事項について同人を鑑定人候補者として鑑定の申立があり、第三九回公判で鑑定は採用されたが、同人は当該の場合鑑定人としての適格性を欠いているものとして鑑定人には選定されなかつたのである。而して、内田常司にこの場合鑑定人としての適格性のないことは裁判所が同公判で説示しているとおりであつて、今なお、その変更の必要をみない。けだし、このことは、鑑定人が裁判所の知識経験を補充する者であつて、しかも、証人と異なり代替性をもつていることなど鑑みると、訴訟手続の公正を保つためには当然の事理であるからである。そうとれば、右鑑定書にして、若し裁判所が内田常司に鑑定を命じたとせば、同人が裁判所の鑑定人として行なつたであろう日時などに亘つての鑑定作業による鑑定の結果を含んでいる場合には、これを法廷に提出することは、形式的には検察官の嘱託による鑑定書ということであつても、実質的には裁判所が内田常司を鑑定人として鑑定を命じたと同様の結果を招来するものであつて、このことは裁判所が訴訟手続の公正を保つため内田常司を裁判所の鑑定人として選定しなかつた趣旨を没却し、到底許容し得ないといわねばならない。

ところで、内田常司は元来裁判所の鑑定人として不適格な者であつたわけではないのであるが、第三九回公判で明らかになつているととおり、同人は検察官の嘱託により訴訟外で本件で問題となつていると同一の鑑定事項について鑑定を行い一応の結論をもつに至つたことが推測され且つ弁護人からもこれを事由として異議があつたため、爾後本件においては同一事項につき同人に鑑定を命じてその結果を報告させることは公正な手続の見地から許されなくなつたのである(第三九回公判での裁判所の判断は同人が右の事由により鑑定人としての適格性を失つていることを確認したに止まり、これによつて適格性を失なつたものではない)。従つてこれらの事由の生ずるまでの間―換言すれば遅くとも昭和三五年九月二七日の第三八回公判以前―に内田常司が行つた鑑定の経過及び結果について、これを記載した鑑定書は刑事訴訟法第三二一条第四項の要件を具備する限り許容性はあるのであるが、本件で問題の鑑定書の作成日付は昭和三六年二月一日であつて、鑑定作業の相当な部分は裁判所が鑑定を命じたとせば、裁判所の鑑定人として鑑定に従事したであろう日時の間に行われたことが検察官の釈明によつて推測されること、従つて右鑑定書には裁判所が鑑定を命じたとせば鑑定人として鑑定に従事して知得したであろう部分が含まれ、この部分とその前に知得した部分とが内容上も体裁上も区別できないと推測されることなどを考えると、右鑑定書は部分的ではなく全体について許否いずれかに決するのほかはないといわねばならない。而して鑑定書に、前記のとおり、若し裁判所が鑑定を命じたとせば裁判所の鑑定人として鑑定に従事して得たであろうと推測される部分などが含まれている限り、これを採用することは、裁判所が内田常司を鑑定人として採用しなかつた趣旨を没却し、訴訟手続の公正を保持する所以ではないと考える。

そうとすれば、検察官申請に係る鑑定書二冊はこれを採用できない。

(三)  なお、(1)検察官は第三九回公判及び前記証拠申請書で「従前の鑑定と別異の結論がでるかも知れない状況がある場合、その者に鑑定させて十分他の鑑定を批判させて回数を重ねるということも本件審理上相当である」旨の意見を述べている。当裁判所も真実発見の見地と本件事案の重要性に鑑み、少しでも多くの証拠資料に基いて事実認定を行なうことを指針としており居り、現に問題の痕跡については、弁護人の申請により上野鑑定を行なつて以来、検察官の申請を容れ、八十島鑑定ほか二鑑定並びに鑑定証人としての内田常司の取調を行つているのである。しかし、事実の認定は真実発見のためならいかなる手段を用いてもよいというものではなく、内田常司作成の鑑定書を本件で罪証に供することは、前記(一)及び(二)で指摘した理由で、手続の公正を害すると考えるので、同鑑定書はやむを得ず採用しないわけである。(2)更に検察官は前記証拠申請書において「既に当事者によつてある程度の資料を与えられて一応の結論に到達している者は鑑定人として選任することは相当でないとすると、検察官の立証準備の過程において関与した者は、新たに鑑定人として裁判所より命ずることあるを期待できないこととなつて、却つて公判準備の目的に反する結果となり甚だ不合理である」旨述べている。ところで、当事者が将来裁判所に対し鑑定を求めると同時にある人を鑑定人候補者として推せんしようと考える場合、同人に対し、鑑定事項と資料の概略を説明して鑑定の成否乃至諾否を打診する程度のことは、立証準備乃至公判準備としてまさに必要なところであり、且つその者の鑑定人適格に影響を与えるものではないが、本件においては、内田常司は、当裁判所が第三九回公判において述べたとおり、右の程度を越えて、鑑定の際には重要な鑑定資料たるべき物件を相当仔細に検討した上、一定の結論を導き出していたのである。以上によれば、白紙の立場で鑑定に着手すべき者が、事実上鑑定の相当な部分を行つていることになり、到底これをもつて公判準備に必要な打診の範囲内にあるとはいえない。従つて、検察官の前記見解はその前提を欠くものであつて、今回の証拠決定の結論を左右するに足るものではない。

二、証人内田常司について

前記検察官の証拠申請書並びに第四九回公判における検察官の釈明によると、右証人は、第一次的に、同人作成の鑑定書二冊が真正に作成されたものであること、第二次的に右鑑定書が採用された場合にその補充として具体的内容の詳細について明らかにすることを立証趣旨として申請されている。そうとすれば、右証人は、右鑑定書二冊が刑事訴訟法第三二一条第四項の手続を履践すれば証拠として採用されることを前提とする証拠方法であつて、右鑑定書二冊が前記一で説明したとおり証拠として採用し得ない以上、その必要性を欠くものであるから採用しない。

(裁判官 八島三郎 佐藤千速 佐藤文哉)

右決定で引用している昭和三五年九月二七日になされた決定の要旨

検察官申請にかかる内田常司を鑑定人に選定しない理由

(一) 鑑定は、裁判所の知識経験を補充する制度であつて、鑑定人は裁判官に準じてその公正が担保されなければならないものである。民事訴訟法は、鑑定人の忌避について規定しているが、このことは鑑定の本質に由来する当然の事理であつて、刑事訴訟法においても別異に解すべきものではない。以上の観点に立ち鑑定人の人選について考慮すべき事柄は、当該の場合鑑定が何ものにも囚われず誠実に行われ且つこのことが何人にも納得信頼のできる外部条件が具備しているか否かであつて、たとい鑑定そのものは事実上何ものにも囚われず誠実に行われても外部的に疑われるものがいささかでもあつてはならないのである。

(二) 以上の点を検察官申請にかかる内田常司についてみるに、検察官は同人を昭和三十五年八月十二日付の証拠調請求書によつて証人として申請し、当裁判所は同年九月二日・同月二十三日の二回に亘り、同人を証人として取調べたのであるが、その結果によれば、同人は検察官の委嘱により、一件記録中の本件鑑定に関連のある資料、殊に鑑定の際には、鑑定資料として重要な屋内土足様痕跡を撮影した写真を複写若しくは拡大するなどして相当仔細に検討した上、右痕跡中には素足痕及び足袋痕が存在する旨の結論を導き出していることを認められる。

(三) このように、ある者が当事者の一方のために、非公式とはいえ、事実上鑑定を行い一応の結論に到達している場合には、同人を鑑定人として選定しても従来の結論に囚われることなく、白紙の立場で判断を行いうるとはにわかに保障し難いところであるのみならず、外部的にはすくなくともその疑を拭い去ることはできない(なお、この場合に要請されるのは、何ものにも囚われず白紙の立場で判断を行うことだけであつて、その結論が如何に落ち着くかはもち論問うところでない。念のため付記する)。而して本件においては弁護人もこの点に疑問をもち、内田常司を鑑定人に選定することには反対しており且つ鑑定人は証人と異なり代替性を有し、特段の事情のない限り特定人に限定されるものではないことなどに鑑みると、この際、内田常司を鑑定人として選定することは相当ではない。

(四) 以上の次第であるから、当裁判所は検察官申請にかかる内田常司を鑑定人に選定しない。(裁判官 八島三郎 大北泉 佐藤文哉)

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